1972年にバウハウス発祥の国、ドイツで生まれた家具ブランド『TECTA』。革新的ながらも機能美を兼ね備えたデザインは、国内のみならず全世界で愛されています。今回はinZONEで開催されるTECTA FAIRに先駆け、テクタのヒストリーをお届けします。

TECTAのルーツ、『BAUHAUS』。
TECTAを語るうえで外せないワード、”バウハウス”。1919年、ドイツでヴァルター・グロピウスが設立したデザイン学校です。
当時のドイツは第一次世界大戦後で、社会も経済も大きく混乱していました。そこで生まれた考え方が、
「美しいものは、一部の裕福な人だけのものではなく、機能的で誰もが使えるデザインであるべき。」
という思想です。
装飾を減らし、機能を重視するデザインは、今の北欧家具やモダン家具にも大きな影響を与えていきました。
しかし1933年にナチス政権が誕生すると、バウハウスは「前衛的すぎる」とみなされわずか14年で閉校になりました。
教師やデザイナーたちは世界各国へ渡り、アメリカ・スイス・イギリスなどで活動を続けます。その結果、バウハウスの思想は世界中へ広まりました。
そして第二次世界大戦後、ドイツは国の再建を進めます。
その中で、
「失われたバウハウスの精神をもう一度ドイツで受け継ぎたい」
という思いを持ったのが、TECTAの創業者であるアクセル・ブロッホイザーです。そして1972年にTECTAを創業し、バウハウスの思想・正規ライセンスによる名作家具の復刻・現代の暮らしに合う新しいデザイン
を融合させた家具づくりを始めました。
そうしてTECTAは単なる家具メーカーではなく、「バウハウスの精神を現代へ受け継ぐ存在」として全世界へ知られていきます。


『奇跡のテーブル』M21
1991年に発表以降、TECTAを代表するテーブルとして1万軒以上の日本の住まいで愛用されている「M21」。実は、このテーブルは、ジャン・プルーヴェ、ピーター・スミッソン、ステファン・ヴェヴェルカ、TECTAのアクセル・ブロッホイザーという4人の協業によって生み出されました。
天板の不定形なフォルムは、プルーヴェにより描かれました。彼はブロッホイザーに「チューブ・アプラティ」をはじめとした、「素材」の重要さを教示した人物です。しかしプルーヴェが描いたのは天板のみだったため、ブロッホイザーはテーブルを完成させるために、プルーヴェの自宅で使われていた暖炉の形状からインスピレーションを得て、レッグを自らデザインしました。
そこへ、イギリスのモダン建築ムーヴメントを牽引し、ブロッホイザーのデザイン思想に大きな影響を与えた一人、ピーター・スミッソンが「Let’s Make Hole(レッグに穴を開けようじゃないか)」と提案。しかも、その穴は「プルーヴェがデザインした扉と同じサイズ、形状にしよう」とアイデアを出したのです。この穴の存在によって、重厚感のあるM21のデザインに軽量感をもたらし、さらに、「空間に置かれた際にも空気の流動性を感じさせる」とブロッホイザーは語っています。
このようにして基本設計がなされたM21に、最後のエッセンスを加えたのは、建築家でありアーティストとして活躍していたステファン・ヴェヴェルカです。TECTAの「B1」チェアなども手掛けたヴェヴェルカは、デザインの「機能」を重視していた作り手で、ブロッホイザーにも多大な影響を与えました。M21のレッグを見たヴェヴェルカは、自らのギャラリーで壁と壁の間にガラスの棚を設置したことで、浮遊感と機能性を両立させていることを説き、M21のレッグにも1枚のガラス板をわたすことを提言したのです。このガラス板によって、M21は、機能性を獲得したと同時に、他に類を見ない圧倒的なデザインのテーブルとして完成を迎えました。
「素材」を重視したプルーヴェによって天板がデザインされ、彼を敬慕するブロッホイザーがプルーヴェ宅の暖炉の形をレッグに採用。そこで、「思想」の面でブロッホイザーに多大な影響を与えたスミッソンによってレッグに穴がうがたれ、そして、デザインが持つ「機能」を重視するヴェヴェルカがガラスの棚を付け加えました。これらのアイデアをブロッホイザーのエンジニアとしての知見を発揮して誕生したのが、M21なのです。
4人の建築家・デザイナーによって生み出されたM21は、まさに「奇跡のテーブル」と呼ぶにふさわしい逸品です。


奇跡の名作たちを、その目で。
inZONE with ACTUS では2026.7.25~8.16までの期間中、全店で『TECTA FAIR』を開催。奇跡のテーブル『M21』をはじめ、数々の名作を見て、触って、ご体感ください。